な行

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【な】中仙道しのぶ安中杉並木

なかせんどうしのぶ、あんなかすぎなみき

なかせんどうしのぶ、あんなかすぎなみき

中山道

中山道は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。「中仙道」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。

出典/中山道 – Wikipedia

杉並木

中山道の杉並木である安中原市の杉並木がいつ植樹(しょくじゅ)されたかには、3つの説があります。・慶長(けいちょう)9年(1604)説、・元和(げんな)元年(1615)説、・安中藩主板倉重形(いたくらしげかた)が植えさせたという説です。杉の数は天保15年(1844)には732本、昭和7年(1932)には321本で、昭和8年に国指定天然記念物に指定されました。枯死のため昭和42年には安中部分が指定解除され、残された原市部分も現在は十数本に減少しました。

出典/あんなか観光ガイド|一般社団法人安中市観光機構

地図

[map]安中市[/map]

【に】日本で最初の富岡製糸

にほんでさいしょの、とみおかせいし

にほんでさいしょの、とみおかせいし

富岡製糸場

富岡製糸場は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場である。1872年の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている。

出典/富岡製糸場 – Wikipedia

地図

[map]富岡製糸場[/map]

【ぬ】沼田城下の塩原太助

ぬまたじょうかの、しおばらたすけ

 ぬまたじょうかの、しおばらたすけ

塩原太助

塩原 太助は、三遊亭円朝の「塩原多助一代記」で有名な江戸時代の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた。こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。

生年月日: 1743年2月26日
死亡: 1816年10月5日

出典/ウィキペディア

地図

[map]利根郡新治村[/map]

【ね】ねぎとこんにゃく下仁田名産

ねぎとこんにゃく、しもにためいさん

ねぎとこんにゃく、しもにためいさん

下仁田ネギ

下仁田ネギは群馬県甘楽郡下仁田町を中心として、その周辺に栽培される根深、夏型ネギの品種です。一本ネギで株分れはは少なく白根の長さ20cmあまりで直径は6cm~9cmのものもあります。
他の同型品種に比べて白根が特に深く太いのが特徴です。一般的には白いところを食べ、青い部分はあまり食べません。また生では辛味が強すぎて食べられないほどですが熱を通すと甘くなり、その特有の風味ととろりとした食感が食通をうならせます。

出典/下仁田ネギとは?(下仁田ネギのうんちく)

下仁田こんにゃく

こんにゃく芋の栽培が群馬県で盛んになった理由は、土壌と気候にある。赤城山一帯は、火山灰土と呼ばれる土壌が広がっている。この水はけのよい土地、そして生育に必要な年平均地温13度という、暑すぎず寒すぎない気候がこんにゃく芋の栽培に適していた。

群馬県におけるこんにゃく芋栽培の歴史は古く、室町時代にさかのぼる。南向きの傾斜地で始まったとされている。その後県内にこんにゃく栽培が広まり、今では全国の約8割以上を群馬県産が占め、他県を圧倒している。

こんにゃくを特産品とする町としては、下仁田市が有名だ。「下仁田こんにゃく」という名前は、こんにゃくのブランド品として知られている。だが、下仁田市内ではこんにゃく芋の生産はそれほど盛んではないそうだ。群馬県内でこんにゃくの一大生産地というと、昭和村、旧子持村、旧吾妻町などが上位を占めている。下仁田市がこんにゃくで有名なのは、県内で生産されたこんにゃく芋がこの町に集まるからだという。

出典/食紀行<群馬編>:単なるダイエット食ではない、味わい深い生芋こんにゃく

地図

[map]群馬県下仁田[/map]

【の】登る榛名のキャンプ村

のぼるはるなの、キャンプむら

 のぼるはるなの、キャンプむら

榛名湖

榛名湖は、群馬県西部、高崎市榛名山山頂に位置する湖。古名、伊香保沼。 標高1,084mに位置し、日本では中禅寺湖に次いで2番目に高い湖。

出典/ウィキペディア

リンク/榛名湖オートキャンプ場

リンク/榛名高原学校(榛名高原体育センター)

地図

[map]榛名湖[/map]